備忘録(仮のような正式タイトルのような

基本放置の備忘録。2013年2月25日開設。Twitterもやっています。@tatibana_m

輿水版「甲斐亨」を振り返る

甲斐亨が卒業した『相棒』Season13ですが、その終わり方は賛否両論です。

 

個人的には単純にエピソードとしてつまらなかったので「最後がこれはないでしょー」という意味でガックリだったのですが、それと合わせて亨のキャラに一貫性がなかったのもしこりとして残りました。

 

そこでふと思ったのが、「最終話の台本を書いた輿水さんとほかの脚本家とで、亨の捉え方に食い違いがあったのでは?」という考え。もしかしたら輿水さんのなかでは、亨のキャラクターが確立されていたのかもしれない。

 

そんなわけで、甲斐亨版『相棒』のSeason11〜13の中から、輿水さん脚本のエピソードを抽出してみました。

長いので、詳細は「続きを読む」からどうぞ。

 

 

 

 

まずは亨と右京が出会ったSeason11から。
第1話「聖域」
( 公式サイトのあらすじ: http://www.tv-asahi.co.jp/aibou_11/story/01.html
 事件を隠蔽するよう強要された被害者の夫に「本当にそれでいいんですか!」と叫ぶ亨を見て、右京が相棒に選んだというのがこのエピソードの肝。Season11の最後で亨が刑事に向いていないと語る甲斐峯秋に対し「警察官にとって一番必要なものをすでに持っている」と語っていて、それが「正義感」であると臭わせています(ただし、最終エピソードは輿水さんではなく櫻井武晴さん)

第9話「森の中」第10話「猛き祈り」
http://www.tv-asahi.co.jp/aibou_11/story/09.html
 亨は即身仏になろうとしている伏木田に対し、「自殺幇助を見過ごす事はできない」と助けようとして暴行を受けてしまう。ここでも亨の「法律に触れる行為は見逃せない」という信念が強調されています。また、同じ台詞を右京が口にしたことで、この時点で右京と亨の「正義感」は完全にイコールだったと思われます。


続いてSeason12。
第1話「ビリーバー」
http://www.tv-asahi.co.jp/aibou_12/story/0001/
 ネットの情報に踊らされた人々が、その情報が間違っていると知らず犯罪に手を染めるという背景、「ビリーバー」というタイトルから見て「何を信じて行動すべきか」がテーマのエピソードだったと思います。では、亨は何を信じて行動するのか? ……正直、これといったものが思い出せません(^ ^; 見直したいところですが、人質事件が現実のものと被り過ぎているので再放送もしばらくはなさそう……。敢えてあげるなら、最初に右京に内緒で事件を追っていたりするので「自分の意志」といったところでしょうか。


第9話「かもめが死んだ日」
http://www.tv-asahi.co.jp/aibou_12/story/0009/
 最初から最後まで「被害者がクズでした」という、意欲作でした(笑 「救いの欠片もない話だって世の中にはあるんだよ」という意味では「ダークナイト」につながりそうですが。
 このエピソードでは、亨が犯人に同情して「死体は発見不可能な状況だし、殺害は供述さえ翻せば逃げ切れるのでは?」と語り、右京にきっぱりと否定されているんですよね。これがきっかけで、亨が「純粋正義」に暴走した……という流れならまだ納得できたのですが、実は右京と出会った直後から「ダークナイト」として行動してた、と語られているので、キャラクターにブレが出てしまっています(^ ^;

第19話(最終話)「プロテクト」
http://www.tv-asahi.co.jp/aibou_12/story/0019/
 ひさびさに小野田公顕登場。「正義の組織」を守るためにルール破りも辞さない小野田と、「正義」を守るために組織も敵に回そうとする右京が、時を超えて対立するという構造でした。……というわけで、亨は完全に蚊帳の外です(笑
 強引に考えれば、「正義のためにはルールや組織など『正しい』とされるものを敵に回してもいい」と亨が考えるようになったとか? でもすでに亨は「ダークナイト」として(以下略)


そして最後のSeason13。
第1話「ファントム・アサシン」
http://www.tv-asahi.co.jp/aibou/contents/story/0001/
 法律で裁けない相手を自ら裁いたと豪語する犯人に対して右京が「歪んだ大義と思い上がった正義は始末に負えない」と切り捨てています。「おお、ついに最終話へつながる伏線が」と思いましたが、亨はこれといったリアクションをしてないどころか、ひと言もセリフがないんですよねえ(^ ^;
 この回では痛みも「国賊が」と口にするなど、キャラクターにそぐわない台詞も目立ちました。右京がというよりも、輿水さんの怒りが伝わってくる台本で、その「裁きたい相手が裁けない」という怒りが最終話の物語に向かったようにも思えます。


第15話「鮎川教授最後の授業」第16話「鮎川教授最後の授業・解決篇」
http://www.tv-asahi.co.jp/aibou/contents/story/0015/
 被害者が犯人を救うために、わざと正当防衛が成立するよう振る舞い、その狙い通りにことが進んだにも関わらず、「あなたは本当は殺意があったのでは?」と犯人を追いつめ殺人罪で裁きを受けさせるという、右京の「正義の殉教者」ぶりが強調された回です。「必要なのは罪の意識を持つことだ」といった、名言もいろいろ出ています。
 で、亨ですが……犯人を追いつめる右京を見つめるアップがあるものの、肝心の「罪の意識」云々の部分ではとくに何かを考えている様子は見られず(^ ^; むしろ病気で倒れた悦子(彼女)とのやり取りがメインになっています。というか、なぜ病気にしたんだろう……?

 

という訳で、振り返ってみた結果、「ギリギリまで終わらせ方を決めていなかった」と確信するに至りました(笑 どう考えても最初のうちは悦子絡みの話を作ろうとしていたはず。

改めて見ると、輿水さんの全57話中10話担当は金井寛さんと並んで最多とはいえ、そのほとんどが第1話と最終話なんですよね。スペシャルストーリーとして大事件を扱うことが多く、そのなかで亨の描写まで力が回らなかったような気がします。

 

 『相棒』は神戸尊加入の頃から、「正義」をテーマに扱うことが増え、それを相棒との関係性にも盛り込もうと苦心されているように思えます。常に変化を求める姿勢そのものは凄く尊敬するのですが、テーマばかりの比重がおかれ、キャラクターや人間関係が軽んじられると、結果として作品全体のクオリティが下がるのではないでしょうか。

 

亀山、神戸、甲斐と三者三様のストーリーにしたことで、次の相棒はキャラクター立てがより難しくなりましたが、作品のテーマにばかり注力しておざなりにならないよう願いたいです。