映画感想『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』
見たのは半月ほど前なのですが、直後は気持ちが処理しきれず。
なんとなく考えがまとまったので、気持ちの赴くままに書き連ねようかなと。
前作『ファー・フロム・ホーム』のラストで正体がバレてしまったスパイダーマン=ピーター・パーカー。
MJやネッドはスパイダーマンの仲間だからと大学を不合格になり、責任を感じたピーターは、ドクター・ストレンジに魔術で世界中の人々からスパイダーマンの正体に関する記憶を消してもらおうとするのだが、メイおばさんやMJなど、身近な人は記憶消去の対象から除外してもらおうしたと結果、魔術は失敗。逆に平行世界から「スパイダーマンの正体はピーター・パーカーである」と知っている人物を呼び寄せてしまう。それはドクター・オクトパスやグリーン・ゴブリンなど、別世界でスパイダーマンと死闘を繰り広げたヴィランたちであった……
(以下、クライマックスに関するネタバレがあります)
いきなりラストの話からすると、ピーター・パーカーは魔術で狂ってしまった世界を救うため、MJたちやドクター・ストレンジを含めた全世界の人々から「ピーター・パーカー」の記憶を消し去ってしまい、「誰も正体を知らない、あなたの隣人スパイダーマン」として生きることを選ぶのですが……正直、このエンディングには納得しきれていません。
公開前のスパイダーマン役トム・ホランドの「切ない」発言を耳にしていたため、予想はしていましたし、これが「トム・ホランド『スパイダーマン』3部作」の完結編なら全然問題なかった(絶賛していた)と思うのですが、作中に仕掛けられたサプライズが大きな障害になったなと。
それは、「ピーター2」ことトビー・マグワイアと「ピーター3」ことアンドリュー・ガーフィールドの登場。
つまり本作は「トム・ホランド3部作」だけでなく「トビー・マグワイア3部作」「アンドリュー・ガーフィールド2部作」の敵味方がこぞって出演する、オールスター映画だった、という構造でした。
とはいえ、オールスター映画がダメ、という気はありません。むしろ好きな方です。
では何がダメだったかといえば、「ピーター2とピーター3が救われる」という展開。
ピーター1(トム・ホランド)は、ヴィランたちがそのまま元の世界に追い返されると恐らく(元の映画の結末通りに)死亡すると知り、彼らを救うためにドクター・ストレンジと対立します。
その後のいざこざで、ヴィランたちの反抗にあったピーター1は、心の拠り所であったメイおばさんを失うという悲劇にも遭います。
ですが、その後合流したピーター2、ピーター3の活躍もあり、ヴィランたちは全員、人間の姿を取り戻すことに成功。つまり、元の世界に戻っても、過去の映画にあったような悲劇にはならないであろうことが示唆されるのです。
またピーター3は、グウェンを失ったのとそっくりなシチュエーションから、MJの命を救います。かつて届かなかった手が届いたのです。
つまり、ピーター2とピーター3は、ピーター1の世界に招かれたことで救済を得たわけです。
一方でピーター1は、その代償として全てを失います。
それでも、メイおばさんの言葉を胸に平和のために街へ飛び出す姿は、一見ヒーロー性を感じますが、「ピーター2とピーター3の不幸を肩代わりしただけなのでは?」という思いがどうしても拭えません。
かつて先輩スパイダーマンたちも同じ思いをした。言わばスパイダーマンと切り離せない運命なのかもしれませんが、先輩たちは今作でその運命から逃れることに成功しているのです。
では、ピーター1もいつか救われるのか。
元々3部作構想と言われていたので、続編が見られる可能性はかなり低い気がしています。もしも『ヴェノム』など別作品への出演が叶ったとしても、今作と同等の展開でなければ「救われた」とは言えない気もします。
先輩スパイダーマンが救われたことで、「人としての苦悩を抱えながら戦うヒーロー」は「それでもいつかは救われる」ことが明かされ、「ただし、ピーター1だけは救われない(救われる姿を目にすることはない)」という落差につながる。
そんな実に残酷な事実を突きつけられた結果となりました。
それこそがスパイダーマンである、と自分に言い聞かせようとしたのですが、どうにもうまくいかず、個人的には残念ながら「こんな終わり方だけは見たくなかった」という一本になってしまいました。